大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和40年(ネ)2681号 判決 1966年11月24日

控訴人 興産信用金庫

被控訴人 明和精機株式会社

主文

本件控訴を棄却する。

被控訴人は控訴人に対し金一五万円およびこれに対する昭和三九年一〇月一〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人の第二次的請求中その余の部分を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを三分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金一八万円およびこれに対する昭和三九年一〇月一〇日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張と証拠の提出、援用、認否は、左に付加するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

(控訴人の主張と立証)

控訴代理人は

一、かりに控訴人の所持する本件約束手形が被控訴人のいうように訴外斎藤ふさ恵により権限なく作成交付されたものであるとしても、右斎藤は昭和三八年一一月頃から被控訴人に事務員として雇われその業務一般を担当し、本件手形以前にも被控訴人の名において、金額二一万三〇〇〇円、支払期日昭和三九年五月二七日、支払地振出地ともに横浜市鶴見区、支払場所横浜信用金庫鶴見支店、振出日同年三月三一日、受取人訴外有限会社エービー工芸(以下訴外会社という)なる約束手形および金額一九万五〇〇〇円、支払期日同年六月二三日、その他の手形要件は右と同一なる約束手形各一通を振出し、これらはいずれも期日に支払われているから、斎藤は少なくとも右二通の手形振出については正当な代理権限を有したものということができる。しかして本件手形は訴外会社の代理人芦原長次郎がこれを受取つたものであるが、同人は前述の経緯から本件手形についても斎藤が振出権限を有するものと信じ、かく信ずるにつき正当な理由があつたというべきであるから、被控訴人は民法第一一〇条により手形振出人としての責を免れることはできない。

二、右手形金請求が認められないときは、控訴人は当審において新たに予備的に民法第七一五条による損害賠償を請求する。すなわち、斎藤ふさ恵は前記のように昭和三八年一一月頃から昭和三九年一〇月頃まで被控訴人に事務員として勤務し、会社の事務一切を担当し、その職務上手形発行については少なくとも振出人の署名押印を除くその余の手形要件の記載は同人が通常これを行なつていたものであるところ、その間昭和三九年七月一八日同人は右のような職務を担当していたことを奇貨として無断で本件手形を作成の上、これに被控訴人代表取締役の印を盗捺して、被控訴人振出名義の本件手形を偽造しこれを流通においた。本件手形の受取人である訴外会社は控訴人に対しその割引を依頼し、控訴人は右手形が真正に振出されたものと誤信して訴外会社の割引依頼に応じ、昭和三九年七月二五日から支払期日たる同年一〇月九日まで日歩二銭七厘の金利を手形額面金額から差引き、残額を訴外会社に交付したのであるが、右手形は期日に不渡となり、かくして控訴人は被控訴人の被用者たる斎藤の職務執行上行なつた不法行為により右手形金額に相当する損害を蒙つた。よつて被控訴人は控訴人に対し右損害額とその遅延損害金を賠償すべき義務がある。

と述べた。<立証省略>

(被控訴人の主張)

被控訴代理人は

一、控訴人の右第一項の主張事実中、斎藤ふさ恵が被控訴人の被用者であつたこと、控訴人主張の別件二通の約束手形が存在しこれらが期日に支払われていることは認めるが、その余は否認する。斎藤は伝票整理、記帳その他お茶汲みなどの雑務を担当していたにすぎず、同人に手形に関する代理権限などを与えたことはない。控訴人主張の別件二通の手形も同人が偽造したもので、同人はこれらの決済資金を自ら調達して支払銀行に直接現金を払込み期日に決済を遂げ、表面を糊塗していたのである。

二、控訴人の右第二項の主張事実中、斎藤が控訴人主張の期間被控訴人に勤務していたことは認め、控訴人が本件偽造手形を割引した経過は不知、その余は否認する。

かりに被控訴人が使用者責任を負わなければならないとしても、控訴人が被控訴人振出名義の約束手形を割引くのはこれがはじめてのことであるから、控訴人としては訴外会社から本件手形の割引依頼をうけたときに被控訴人に対し振出の真否を照会すべきであり、これをしないで漫然と割引に応じ損害を招くに至つた点において、控訴人にも過失があつたというべく、損害の額を定めるについて右過失が斟酌されるべきである。

と述べた。

理由

一、第一次的請求(約束手形金請求)について

甲第一号証(本件手形)の振出人欄にある被控訴人代表者名下の印影が同人の印章によるものであることは争いがないが、成立に争いのない乙第二号証、原審における被控訴人代表者尋問(第二回)の結果により真正に成立したものと認められる乙第一号証の一ないし四、第三号証の一ないし三ならびに原審(第一、二回)および当審における被控訴人代表者尋問の結果によると、この手形は当時被控訴人に勤務していた斎藤ふさ恵が訴外会社の取締役でかつ訴外有限会社美宝堂の代表取締役である木野重祥に頼まれて、何らの権限なく被控訴人代表取締役印を冒用して作成し右木野に交付したものであることが認められ。この認定を覆し右手形が被控訴人代表者の意思に基づいて振出されたものなることを認めるに足る証拠がない。

控訴人はかりにそうであるとしても民法第一一〇条の表見代理の適用があると主張するが、被控訴人代表者が斎藤に対し控訴人の主張する別件二通の約束手形の振出その他の代理権を与えていたと認めうる証拠はない(右二通の手形は支払期日にその支払がなされていることは争いがないけれども、前顕乙号証によれば、被控訴人の帳簿にはこれの振出支払に関する記帳はなく、何者かが被控訴人を経由しないで直接支払銀行に決済資金を振込んで支払を遂げたものの如くである)のみならず、前認定のように本件手形振出の直接の相手方は訴外会社取締役の木野で同人が斎藤の無権限を知らなかつたとはとうてい認められないから、表見代理の成立する余地はない。

したがつて控訴人の手形金請求は理由がない。

二、第二次的請求(損害賠償請求)について

斎藤ふさ恵が昭和三八年一一月から昭和三九年一〇月頃まで被控訴人に勤務していたことは当事者間に争いがなく、本件手形が当時右斎藤によつて偽造されたものであることは前判示のとおりである。そして原審(第一回)および当審における被控訴人代表者尋問の結果によると、被控訴人は昭和三八年に設立されたプレス金型製作を目的とする会社で、事務員は右会社設立時に採用された斎藤だけであり、同人は経理を含む会社事務全般を担当し、手形による支払を要するときはおおむね斎藤において市販の手形用紙に振出人欄を除いて所要の手形要件を記入し、代表者が記名捺印すれば完成するばかりにしたものを作成するのを常態としていたことを認めることができる。右事実からすれば、本件手形の発行が外形上被控訴人の業務の範囲に属することはいうまでもなく、しかも斎藤が被控訴人の唯一人の事務員としてその手形振出に関し前記のような職務を担当していたものである以上、そのような地位にあることを奇貨としてなされた本件手形偽造の行偽も同人の本来的職務と密接な関連を有し、外観上本来の職務の執行とみられるから、これを斎藤が被控訴人の事業の執行についてなした行為と解して妨げない。しかして他方、原審証人神山寅栄、当審証人芦原長次郎、同中村重信の各証言によると、訴外会社は本件手形の振出日頃木野を通じてこれを取得した上、控訴人にその割引を求め、控訴人はこれに応じてその頃満期日まで信用金庫における通常の割引率により計算した割引料を手形金額から差引いて金一七万円余を訴外会社に交付したが、本件手形は偽造のため満期に不渡となり、割引依頼人である訴外会社は昭和三九年八月に倒産して、本件手形の償還に応ずる資力もなく、結局控訴人は右割引金相当額の損害を蒙つているものと認められる。この損害が斎藤の手形偽造行為と相当因果関係があることはいうまでもない。

そこで次に被控訴人の過失相殺の抗弁につき判断するに、前顕中村証人の証言によれば、控訴人は本件手形割引にあたり振出人である被控訴人に対し振出の真否を問い合わせることはせず、ただ被控訴人振出名義の手形を割引くのははじめてで従前の実績がないため、手形の支払場所である横浜信用金庫鶴見支店に電話をもつて信用照会をしただけであることが認められる。手形割引のとき割引銀行はこのように支払銀行に対し信用調査を依頼するだけで、直接振出人に振出の真否を照会することまではしないのが通例であることは、裁判所に顕著な事実といつてよい。しかし銀行実務上その程度の取扱いをもつて足るとされているのは、手形割引においては専ら振出人よりも割引依頼人の信用に重点がおかれ、万一不渡が生じたときは直ちに割引依頼人をして不渡手形の買戻しをなさしめることにより手形金の回収をはかることとされ、また通常それが期待できるからであつて、もし割引依頼人の信用に誤算があつて買戻しにも応じないため、不渡をした振出人に対し手形金の支払を求めざるをえない事態に立ち至ることを慮るならば、それが従前幾度も割引をなし満期の都度支障なく決済されてきた手形と同じ振出人の手形で素性も知れ信用も確実と判断できるような場合は格別として、ことに本件の如く全然未知の振出人の振出にかかるものでそのような手形を割引くのははじめてであるといつたような場合には、万全の措置として事前に被控訴人に手形の真否を確認する等の適切な方法をとることにより損害を未然に防止するだけの注意が要求されて然るべきであり、控訴人がこれをしなかつたことは、信義則上損害負担の公平をはかることを目的とする民法第七二二条第二項の適用上これを被害者の過失にあたると解すべきである。

よつて当裁判所は控訴人の右過失を考慮し、控訴人の蒙つた損害のうち被控訴人の賠償すべき額を金一五万円とするのを相当と認める。

三、結び

そうすると、控訴人の被控訴人に対する手形金請求は理由がなく、これを棄却した原判決は相当で本件控訴は棄却すべきであるが、当審で予備的に追加された損害賠償請求に基づき、被控訴人は控訴人に対し金一五万円とこれに対する不法行為の後である昭和三九年一〇月一〇日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、控訴人の右新請求は右の限度において正当として認容しその余は失当として棄却すべきである。

よつて民事訴訟法第三八四条、第九六条、第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤完爾 小堀勇 藤井正雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例